「また明日ね」っていうのはお別れの言葉
“看取(られ)るのが幸せとは限らない”
体験されたことがある方もおられることと思いますが、罹患して入院中の患者さんから
「今日は遅いからまた明日ね」
って言うフレーズが出てきた時は大抵、それはお別れの言葉だったと言うケースが多いです。
ご本人は、自分の今回の人生の最期が来ていることを本能的に悟っています。
周りに心配をかけまいと、「また明日ね」と語りかけて、大切な人たちを見送ってからひっそりと去っていかれます。
誰もが必ず、生まれたらいつかはこの世を去る日がやってきます。
最期に会えなかったと嘆く方がおられるかとは思いますが、最期を看取るのが幸せとは言い切れないのではないでしょうか。
この部分は、見送る側(残された人)の感情であって、去っていく人は家族に苦しむ姿を見せず、あるいは見られたくないので、ひとり静かに去っていきたいのかもしれません。
これはあくまでも個人的私見、考え方や価値観は人それぞれですね。
ちなみに、人が亡くなる日は大抵その人の厄難日、日運が厄難数字の日に去って行きます。
看取るのが幸せとは限らないと、森鷗外氏のお孫さんの小堀鷗一郎Dr.の本にも書かれています。小堀先生の言葉に影響されたワケでもなく、ずっと私もそんなふうに思っています。
ご興味がある方は、是非小堀先生の本をご一読くださいね。
2022年3月24日